Dr.コラム

2013年10月 コラム(21)
2013 春 大頭 信義

 行く我に とどまる汝(なれ)に 秋二つ  
                                    正岡子規(明治28) 

 松山で、正岡子規が別れゆく親友・夏目漱石に贈った句といわれる。

 子規は、日清戦争従軍の帰途に喀血して松山に帰郷し、その頃、松山中学に英語教師として赴任していた漱石と懇意になった。 友人たちも一緒になり、句会をさかんに開いたらしい。
 やがて、東京へと赴く子規が、別れに詠んだ句ということである。

 別れには、いろんな形があろう。社会の仕組みと流れにのった別れは、現代では、3月が多いかも知れない。 それは、悲嘆の想い以上に、新しい世界へ勇躍してゆくといった希望を、別れるどちらかの胸に溢れさせるといったこともゆくあることだろう。

 しかしながら、 日常の中での「別れ」は、 しばしば、両者ともに望まず、両者の想いのなかに踏み込み、ただ無残にも、此岸と彼岸の二つの世界へと分け隔ててしまうことが、しばしばである。
 
 在宅での終末期の療養支援の依頼を受けて、患者さん宅に出向いて行く。
ケアにあたっているご家族の想いを一部受け取って、 そのご本人と、数日という短い時間のなかで、「友人」となり得るのか。 その心のやりとりを、どこまで濃厚なものにしていけるか。

 医者になって43年。 開業して、すぐ在宅療養に出向くようになって27年が経過した。
往診を始めた頃は、早く、心身共に老け込んだ状態にならないかと念じた。 
 
 そして今、 待ち望んでいた「老齢期」に入り込んできたのだ。 
さあ、ここからが、私の自由な活動の季節だと、勇み立つ想いだ。