Dr.コラム

2015年1月 コラム(23


ひとまづは 諸事終わりぬと 除夜の鐘
              つくならはしの  あはれなりけり


                        筏井 嘉一  ( いかだい かいち ・「離雨荘雑歌」  昭40 )

 
 おおみそかは、何といっても新しい年への転換点です。 昔から人びとは、除夜の鐘を様々な思いを胸にしながら、聴きとめたことでしょう。

 子供の頃は、友達と連れだって、山寺の鐘つき所へ石段を登って行きました。この夜に限っては、深夜まで起きていて、友達と遊んでいても許されたのでした。
 近所のおじさん達も、お孫さんの手を引いてやってきているのです。私の順番がきて、思い切って手綱に力を込めて鐘に打ち付けるのですが、私の鐘はゴンと優しい音を出すだけで、大男のおじさんのように、うおんうおんと響き渡るのとは随分違っていました。それでも、この夜にだけ許される鐘つきですから、なんとも嬉しく、その手綱の感覚を一晩中、楽しんでいました。

 その後も何度も、除夜の鐘を耳にしました。おとなになってからも、様々な思い出があります。外科医になって、病棟の患者さんのケアが終わって帰ろうとしたら、京の東山から、いくつもの違った音の鐘が聞こえるのでした。また姫路へやってきて、在宅医となってからも、地域によっては、除夜の鐘が、ごくろうさんを伝えてくれる地域があるのです。
 患者さんが、時に、「新年を迎えられるだろうか、この私も・・・」とつぶやいたり、人によると、除夜の鐘を聞けるかと、表現もするのです。
そう、この鐘の音は、「ひとまづは」と、大切な区切りとなります。とにかく自分は、この瞬間には確かに生きていて、新しい年を迎えるのです。

 今年は、どちらのお宅で、除夜の時を迎えることでしょう。あるいは、家族で(といっても、この時間はワイフと二人だけでしょうが)その時をテレビの「行く年、来る年」で、また東山の寺の初詣客の様子を眺めて、ウイスキーを舐めているのでしょうか。

  今年も昨年同様に、70軒に近い在宅の方々と想いを交わしての年の暮れになります。そして今年も、60数名の方々とのお別れを告げた時間の流れとなりました。  

新しい年も、ご一緒に、 元気で迎えましょう。         大頭 信義