Dr.コラム

2008年9月 コラム(3)
「 月・・・ 山の眺め、 海の風景 」

大頭 信義

 秋といえば月。 そのさやけさを愛で、傾く月、有明の月、月の輪・・・など日本人のこころに語りかけてくる「月の影」は様々な姿をとどめる。
しかしながら、その月がどこにかかるかといった「背景」によって、人のこころは論理的・述懐的にも、また心象的・絵画的にも変化する。 例えば、月が山の端にかかってその大きな月と相対する場合と、ある時には、海の波の上に勇姿をとどめる場合の違いをイメージしてみよう。

 「 月・・・山の眺め、 海の風景 」を考えてみよう。
  くらきよりくらき道にぞ入りぬべき
                  はるかにてらせ 山の端の月 和泉式部 (平安中期)
  波の秀(ほ)に裾洗わせて大き月 
                   ゆらりゆらりと 遊ぶがごとし 大岡 博 (昭44)

 山の端の月は特に巨大に映る。その色合いも淡い黄色でなくてどぎつい濃き黄橙色である。吾が心に迫ってくる力は一段と鋭く豪華である。私は、その力に圧倒され尽くして魂胆まで揺り動かされてしまう。  そして、否応なく私の心中を覗かれてしまって吾が心の惑いまで見えてくるのではないだろうか。 論理的、述懐的とならざるを得ない。
 一方、波の上にかかる月の場合はどうだろう。 私は、それをゆったりと高所にたって穏やかな気分で眺めることが出来る。彼と我の間には、無限の距離がある。月の光を反射した波頭や淡い島影もゆとりを誘う。その風景は、一幅の絵画として私の眼下に広がり、私の心には穏やかな心象が去来するだろう。

 秋には、月を眺めよう。そしてそれは、山の端にかかる月であったり、銀色の海に浮かぶ月であったりするだろう。 そして時に論理的になって思考にふけり、また時に心象に身をまかせて心を遊ばせてみたい。