機関誌「花みずき」

病気になった時の療養「こんな風に、変わってきた」

院長 大頭 信義

病気療養の様子はさまざま
 終戦すぐの日本人の主な死因は、肺炎や胃腸炎、とくに結核などの感染症と脳卒中が中心でした。その頃、このような疾患の急に対しては安静が最重要だと考えられていたので、医者が自宅に出向く「往診」が医療の標準的な形態として広く普及していました。当時は3世代の同居が普通のことであって、急病人の介護は主婦の役割であり、「家」には今以上の存在感がありました。1950年の死亡者のうち、67.5%が64歳以下でした。統計を見てみますと、8割以上が自宅で死亡していたようです。

 その頃の普通の在宅医療の様子は急性疾患に対しての臨時往診であって、現在の訪問診療とは相当に様子が違っていました。入院医療については、病院が少ない上に、提供できるサービスが現在と比べようがない位にレベルの低いものでした。また、医療保険制度もない中で、多くの国民は経済的にも入院が困難でした。

 私は、四国の片隅にある離れ島(鳴門市鳴門町高島)の出身ですが、村の医者では手に負えない腹痛の患者を、村の屈強な4人の男衆が、はずした雨戸板に担いで、「わっほい、わっほい」と声をかけながら、島の渡船場まで駆けて行っていたのをよく覚えています。現在の救急車です。

<閑話休題> 「戸板による搬送について」

 現代になって考えると、「戸板」とは、あまりに変な言葉・話題なのかなと思って、昔の事情を調べてみますと、なんのなんの、全国レベルの言葉・現象だったようですよ。例えば、文学作品より…

(1)国木田独歩「窮死」・・・虫の息の親父は戸板に乗せられて、親方と仲間の土方二人と…
(2)「デジタル大辞泉(小学館)」によると
   戸板:雨戸の板。特に、人や物をのせて運ぶ場合にいう。
とあります。


少し、時代が進むと  
 社会環境の整備と抗菌薬の進歩によって、感染症や結核による死亡は急速に減少し、代わって脳卒中による死亡が増えていきました。脳卒中は、1951年から1980年まで長らく日本人の死因第1位を占めました。治療の学術的経験が集積され、それまで多くの患者が死亡していた脳卒中患者も、早期に治療すれば救命できるようになりました。全身麻酔手術や各種検査方法が発展して入院医療の質が飛躍的に向上し、急性期疾患における入院医療の優位性が明らかになりました。1961年には国民皆保険が始まり、救急医療の整備や自動車の普及と相まって、病院へのアクセスが向上し、医療の中心は次第に病院に移っていきました。
 入院医療の発展と共に、1951年に82.5%あった自宅での死亡率 は、1960年に70.7%、1970年は56.6%へ減少しました。1975年には病院で の死亡数が自宅での死亡数を上回りました(この 1975年は、有名な「転換点」ですね)。それまでは、自宅での死亡が多かったのです が。国民にとって、病院で死ぬことが当たり前の社会となり、死を身近に感じることが少なくなっていくのでした。1981年からは、脳卒中に代わって、がんが死因第 1位になり、がん、心臓病、脳卒中の3大成人病が死因の上位を占めるようになりました。
 このような中で、一部のがん患者や高齢障害者が地域での生活を望むようになり、また通院困難な患者のニーズに対応して計画的に往診する「定期往診」が一部医療機関で始まりました。しかし、当時は病院医療が全盛の時代であり、このような「新しい在宅医療」が普及する状況にありませんでした。