機関誌「花みずき」

私の平成

姫路市網干区 竹内さん

一生の内で、一番充実した期間であったと思える事を箇条書きにして振り返ってみました。

・平成2年
 70才で乳がんを手術した母、5年再発しなければ大丈夫と言われたが、6年目に背骨に転移し間もなく脳腫瘍となり6月25日死亡。

・平成7年
 父、89才で老衰で亡くなる。人間として色々な苦労を乗り越え、父なりに一生懸命生きてきた人だった。
 最期は私も理想とする枯木が朽ちていく様な亡くなり方だった。3月14日死亡。
・その前に、平成7年1月8日
 痴呆が出始めた義父と義母と同居始まる。夫は長男だったので、私は結婚した時から、いつかはこの日が来る事を覚悟していた。
 その年の8月、義母が胃がん手術で2/3切除する。9月、義父が硬膜下血腫で倒れる。手術のあと寝たきりとなり、全面介護始まる。

・平成9年10月6日
 義父88才、在宅介護で死亡。
 母が亡くなったあと、これから3人の親の介護をいつかはしなくてはならなくなる、とその頃社協で介護ボランティアの講習の募集があり受ける事にした。その体験が義父の介護に大いに役立った。講習が終ったあと介護ボランティアを受講生で立ち上げた。

・平成11年
 ヘルパーの講習があり2級の資格を取った。介護保険が始まると同時にヘルパーとして働き始めたのは、一年後の平成12年、ヘルパーステーションだいとうに勤めさせて頂く。

・平成12年
 義母が硬膜下血腫で入院。手術後軽い認知症が出始める。義母は喜んでデイサービスに行く様になった。義母の見守りを続けながらヘルパーとしての仕事は、色々とその後の人生に大いに勉強させて頂いた。

・平成24年
 夫の様子に少し変化が現れ始める。

・平成26年
 検査入院して、レビー小体型認知症と判明。早速デイケアに行き始めた。症状を遅らせるという「アリセプト」を服用する。
 ヘルパーとして認知症の勉強もさせて頂いていたので、慌てる事なく、穏やかに夫の見守りや介護が出来たのでありがたかった。
 義母が認知症になった時、認知症の会(麦の芽会)に入会。色々な人達の話を聞き、うちはまだまだ軽いと思いつつも、夫の弟妹達の協力は全くなく辛い日々もあった。
 ケアマネジャーの助けも有りがたかった。2人の認知症を看るのは大変、と義母は特別養護老人ホームに入所してもらった。一週間に二度程は面会に行った。おとなしくしてくれている方だった。

・平成28年
 年末から義母に下血が始まった。

・平成29年
 1月4日、義母101才で死亡。夫の認知症は進んでいた。
 3月、夫に胃がんが見つかる。
 4月22日、入院24日胃全摘手術。手術後歩くリハビリも始まったが、食事の方は認知症も手伝ってか中々うまくいかなかった。
 5月、嚥下がうまくいかず詰まらせてからいっぺんに管だらけになり、辛い治療が始まった。腹膜播種が見つかり2、3ヶ月の命と聞かされる。
 7月7日、午前11時死亡。七夕は一生忘れられない日になった。

 介護ボランティアそしてヘルパーとして活動し、色々な人と出会い今も交流が続いている友達もいる。
 平成は私にとって、人間的にも中味の濃い時代、忘れられない時代となりました。