機関誌「花みずき」

介護をうける立場になって

金山さん

 いわゆる主婦専業(?)となり、2ヶ月が過ぎていった。
50人前後の患者さんの間を走りまわっていた日々から、たった一人の母の看護をする立場に変わった。
勤めていた頃、みえなかったもの、みることを避けていたものが目に飛び込んできた。
「母の今」と「家の汚れ」が、代表的なものである。
 母の身体の状況、例えば体重28キログラムの示す目盛りさえみていなかったのだから、何ともお粗末である。私の一言に反応する表情は強烈すぎて目を背けたくなるほどだ。同居する時から決めていた「母が動けなくなったら、私の看護力の全てを」等は、机上のたわごとと猛暑のなか汗と流れて消えた。一人で出来ることなどごく僅かにすぎないのだから。
それにしても、一人のひとの生活を支えるとは?共に生きるとは?永遠の課題ではあるが、今は、母の瞳のなかにうつしだしていきたいと思う。
 医療を受ける立場でみえてくるもの、みなければならないものも多い。
家族や友人に助けられながら母をみつつ、自分育てをしていける日々に感謝できる私でありつづけたいと思いながら。
なつ水仙がひそやかに咲いた日に


 上記は25年前の拙文である。ほどなく母は逝き、翌年1996年「だいとう循環器クリニック」に就職、2000年の介護保険制度発足と同時に、ケアマネジャーとして先生はじめスタッフの皆さんの協力のもと働かせていただいた。
 介護保険利用希望の方がおられれば、市内どこでも出来るだけ早く訪問し、介護保険を有意義に利用する最良の方法をご本人やご家族と話し合い、この制度の理解も深めあった。楽しく多忙な日々は2006年の退職まで続いた。
 夫が逝き2年後、近所の高齢者には「転ばないようにしようね」等と声をかけていた自分が、思いがけないところで転倒。左大腿骨骨折で入院手術。そして昨年12月、再手術で左股関節が人工関節となり、2ヶ月余りの入院。
「要支援1」で、介護保険を利用する立場となった。人工関節での日常生活に、これほどの制限があるとは思っていなかった。すべては脱臼予防のための動作制限がずらり、の退院指導を受ける。平地は杖歩行で制限はないが…。

 退院後、トイレや出入口の手すりを設置、入浴用椅子の購入。
そして今一番支えられているのは、ヘルパーさんによる訪問介護である。動作制限を守ろうとする時に出来難い浴室や部屋の一部の清掃をしていただいている。新型コロナウィルス感染予防で緊急事態・外出制限時でデイサービス等が休業する事業所もある中で、いつも通りに来て下さった。換気を充分にして、お互いにマスクをして出来るだけ離れて…等いわゆる“3蜜”を確かめ合いながら…。

 訪問介護を受け実感している事は、「こんにちは」の声に元気をいただき、一番大切にしていると言われた「笑顔」にどれだけ癒されている事か。その大きな力が私を前向きにして下さる。いつまでも甘えておれない事もわかっているつもりだ。でも訪問介護の「身体」「家事」とは項目が異なっても「心」の介護をいつも担っておられる事を再確認し、感謝の気持ちを伝えられたら、と思う。
ケアマネジャーとして働いた日々の反省も含めて。