機関誌「花みずき」

訪問看護でのインタビュー

クリニック看護師 藤井

黒田さん、昭和4年生まれ。訪問看護時、生まれ育った野里の思い出を少しずつ聞かせてくださいます。
野里商店街は姫路城の北東部に位置し、室町時代より職人のまち、商人のまちとして栄えました。その栄華を残す町屋が今なお残る風情あるエリアです。戦災を免れたからこそ観られる景色です。

子供の頃の思い出を伺うと・機関庫で働くお父さんの元へお弁当を届けに行ってた。
・大歳神社で町ごとのお祭りがあり、水色のノボリが色鮮やかで綺麗だった。
・雪の降る日、大人はマントを羽織ってて子供達は走り回ってた。祭りの訪れの景色だったと思う。
・川には大きな魚がいて釣りをしたり、川幅に合わせて色んな長さの網を持参してオニヤンマをとったり、友達と「どてした」と呼び合ってた浅瀬の場所で泳いだりした。
・自転車に乗れるようになってからは「金山」の洞を目掛けて西へ大冒険。中にはとしての何かがないかと期待していたが、洞内に入った勇気ある友達から、真っ暗で何も見えなかったと残念がったことを鮮明に覚えている。
と楽しそうに話されます。

大人になってからも
 近所を散歩するのが好きで、青々と清々しい田園地帯、春には桜が咲き、夏には蛍が飛び交い、季節ごとに色とりどりと変化する川の水面が綺麗で、どんなに家が立ち並んでも思い出すのは、当時の景色です。と素敵な笑顔をみせてくださいます。

魚釣りが1番の楽しみで、
 2人の息子ができてからも、釣りによく行った。釣りばっかり付き合わせてたと思う。春夏は、水温が暖かくなるので魚も水面近くまで上がってきて、兄が大きな網棒を持ち弟が目を輝かせながら楽しんでる姿を見るのが好きでした。

 そして、大きくなってからも2人で助け合う姿を思い浮かべてました。今ではそんな息子達も50代。時折、当時の話をしてくれます。私の人生はこれでよかったのかなと振り返ってます…
こんな穏やかな日々を語ってくださることもありますが、戦時中の話に戻ることが多いです。黒田さんの心根深くに刻み込まれてるからだと思い、私はただひたすら耳を傾けるのみです。

野里尋常小学校の高学年の頃から、物資が配給制になり戦争の雰囲気を感じ始めたのを覚えてる・・
 昭和12年 日中戦争始まる
 昭和14年 第二次世界大戦が始まる
 昭和15年 日独伊三国同盟
 米の配給制、ぜいたく監視隊

記録はそうなんですね…もっと前から配給になってたと思う。子供の頃は、満腹に食べれることはなかったですね。

昭和16年 太平洋戦始まる
黒田さん鷺城中学入学(16歳)
 今みたいに「行ってきます」て元気いっぱいに家を出ることもなかったですね。1日数時間の軍事教練がありましてね、ゲートルをしっかり巻いて家を出るところから緊張でした。私は器用じゃなかったから特に時間がかかりまして、途中で紐が解けたらどうしようと心配で心配でたまりませんでした。厳しい先輩がいて、学校の門のところでチェックされるんです。解けたりしたらそれは厳しい叱咤がありました(令和3年新春号に掲載)。
 1年の終わり頃、担任の飯塚先生から「今日から英語の授業はできなくなります」と言われたことを今でも鮮明に覚えてます。
昭和17年 ミッドウェー海戦で日本破れ、深刻な物資不足、
アメリカ映画禁止
昭和18年 戦局は悪化、学徒出陣、アメリカ音楽禁止
昭和19年 神風特別攻撃隊の攻撃が始まる


 ある日、勤労動員に駆り出されることになりました。「学生の本分は、学業ではなく働くことだ」と言われ、翌日、野里駅から汽車に乗り飾磨港へ。入寮し、朝8:00出発の渡り舟に乗り山陽製鋼で働く日々がスタート。
 休みの日に帰省した際、母親と2人で母方の里へ(船津町仁色)仏壇等の貴重品を大八車に乗せて畦道沿いに北へ北へ2時間。途中、振り返った南の空が赤くなり、ビラが舞い降りてきたんです。後で知ったのが、昭和20年6月22日 川西航空機姫路製作所工場が爆撃暫く見入ってましたね。

7月 3日 深夜 姫路市街地全域に焼夷弾が降り注ぎ、姫路城から南は火の海となった。
 この時は、家の裏口から飛び出して普段から頼まれてた近所の子供達を連れて田んぼの水の中に伏せて夜が明けるのを待ってましたね。

8月 6日 広島、9日長崎に原爆投下
8月15日 終戦


進学より働くことを選び、国鉄職員を経て、消防署の職員として40年余り定年まで働いた。「現場に行ってましたよ」と想いを馳せられてますが、いつも話はここまでで終ります。

<インタビューを終えて>
  病院勤務をしている頃は、病気の話を聞く事が大前提で、人生経験を聞かせて頂く事はほんの一部分でした。
  今、訪問看護師として、家庭や施設に訪問し、いろいろな話を聞かせて頂く機会が増えました。又、往診にも同行し、先生と患者さんやご家族の会話を聞きながら、その方を知るにはその方の歴史を知っていく事がとても重要なんだと学びました。
  思い出話をされている時の表情は明るく言葉が途切れなくなります。
 私もそんな関わりができるようなナースになりたいなと思います。 

 黒田さんの当時の思い出には、語り尽くせないものがあるのでしょうね。
これからもぼつぼつ聞かせて下さいね。(大)