だいとう循環器クリニック

花みずき


痴呆症介護の支援員に激励の言葉 

姫路市北原 石川さん


 過日、テレビで【痴呆症をどのように介穫したらいいのか】と言ったテーマを掲げた、あるグループホームの実験映像を見ました。
 何となく見てしまって、詳しい内容は記録していませんが、概略は次のようなこと でした。
(*グループホーム等で痴呆になった人を介護する人を支援員といいます)


 そのグループホームでは、一人の重症な痴呆女性がおられます。何を言っているのか見当もつかない喧噪な声は、ひっきりなしにホーム中に響きます。
 テレビではこの老女を介して、こんな重症な痴呆症にも一定の効果が期待できるということを検証しようとしています。
  「どうしようもないなぁ」と誰もが思うこの老女の介護に新人の支援員が担当 することになりました。支援員は、老女から一時も目を離さず、ほとんど付きっ きりの介護をし始めました。しかし、いくら、なだめても大声は止みそうにありません。そこで、支援員はほとほと困り果て「なんぼ優しく接しても駄目なんで す」と、上司に泣きつきました。
 上司は、「介護の仕方が悪い、まず、目線が高い。それから、相手に心が通う ようにしなさい」などの助言をしました。
 支援員は、自分では、いつも心がけてやっているつもりの助言に当惑し、かつ、 理解出来ない…と思いつつ、考えに考えたあげく、少しずつ接し方を変えていくうちに、大声を出すのは以前より目立って少なくなったということです。

(以上テレビの概要)


 私は、この支援員の胸中を察して次のように思うのです。
 痴呆症の介護は、本当に、今、始まったばかりです。私がケースワーカーをしていた昔から今日までを振り返ってみれば、今までの痴呆患者の介護というのは、介護と保 護でした。身動き出来ないようにして閉じこめてしまう保護でした。
 そして今、やっと介護保険の適用も受け、グループホームは発足しました。これからが痴呆症介護のスタートと言えるのです。
しかし、このような実子も手に負えない重症な患者に、付きっきりで他人が介護する ということは、目線が高い…と言う以前の問題だと思うのです。痴呆そのものを理解しなければならないと私は思います。
 支援員は、痴呆の患者白身に成りきらないと、患者は満足しないと思うのです。患者自身に成りきるとは「貴女は私。つまり、一心同体に成りきるということです」

 こんな考え方は、一般的には通用しません。それでも、それが必要なんです。
 通常の医療では、患者白身の努カと、医師の手助けと、介護者の援護によって医療は成り立ちます。しかし痴呆の患者には、患者白身の努カは全く期待できないのです。 病気として扱っても、この辺が違います。
 重症の痴呆患者は、自分自身を介護者に照らし合わせて、自分とそっくりだったら、その時に初めて安心します。また、そこには指導とか、教育などといったものは成立しないと思います。

 だから、重症の痴呆症の介護は難しいと思うのです。
 だから、介護の定義付けなどは、したくないと思うのです。

 私は、この映像を見て、単なる理想だど反発します。人手もかかり、また、進行を 抑えられても完治する治療法はない痴呆症に、心の通う介護は、かっこいい理想だと 反発もします。
 しかし、到達出来そうもない理想に向かって悲壮とも言える決意で、介護されてい る支援員の皆さんは、あらゆる職業を超越した尊いものだと思います。 
 私は、反発しながらも、そのように感じています。また、全く反応がなくても、痴呆患者の頭のどこかで、きっと支援員に対して深く感謝していると思うのです。



石川さんの、痴呆症のケアには、その介護に当たる人が「患者自身に成りきる」ことが 重要である。 そのことによってこそ、痴呆の方は安心して身も心もゆだねることが出来ると語っています。 また、一方で、そんな理想は実現不可能であるとも思うとして、その実現に向かう姿勢の 尊さと、困難さと、それに対する期待を話して頂きました。 すごい指摘だと心を澄まして受け止めたいと思います。

 

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