だいとう循環器クリニック

花みずき


母との日々 

姫路市四郷町 家永さん


 梅の花が美しく咲きほこり、甘い香りに春近しを感じます。  菊の季節に母が逝ってから、もう4ケ月、4度目の月命日を迎えました。いつも来訪者 をむかえていた母の部屋も今はひっそりとして淋しくなりました。

 思えば長い間、「病」と向き合った日々でした。
 突然の出来事、何の知識もなく病気に対して無知同然の私達母子だったと思います。 農家の嫁、妻、そして母として家を支え働き続けた母が、元気そのものと自他共に認め ていた母が脳卒中で倒れ、左半身不随となり、べッド生活を送るようになったのは、平成 4年7月16日、75才の誕生日を迎えた翌日でした。
 驚きあわてふためき、心配ばかりする私達家族でした。中央病院での9ケ月間にもおよ ぶ入院生活の間、リハビリの先生のもと懸命に励み、麻痺の足に装具をつけて杖をついて 歩けるまでに快復しました。つらい歩行訓練、べッド上での体操、車椅子への移行等、私 もリハビリの先生をお手本に母といっしょに励みました。
 毎日、病院へ通い、母の側にそっといる、そんな生活のはじまりでした。手すりを持っ て立ち上がる、動かない足を一歩前に出す。そしてゆっくりゆっくりと一歩づつ病院の廊 下を毎日歩く。看護婦さん、同室の方々のあたたかい励ましに、勇気付けられて頑張れた と思います。

 翌年5月退院し、自宅での生活がはじまりました。退院に際して送られた言葉“これか らはお母さんの杖になってあげて二人三脚でね”ということでした。 歩けるようにはなったと言っても、手助けがいること、この頼りない私で生活がやって いけるのかと大きな不安をかかえて母が家へ帰ってきました。
 主人、私、弟夫婦と周りの人達の力を合わせての介護が始まりました。
 食事、運動、車椅子への移行等、日常生活を不自由な身体でこなしていくには、本当に 困難でしたが、つとめて明るく朗らかにということや、お天気の良い日には外へ出ようと いうことで散歩をしたり近くのお宮へお参りにいきました。
 冬が近づき寒い日など―日中べッドで過ごすことが多くなり、腰痛や麻痺による痛みも まして、私のつたないリハビリ体操も嫌がるようになり、二週間に一度の中央病院への通 院も行かなくなって、薬ももらえないということで途方に暮れました。
 困りはてた時、大頭先生のことを知りました。先生にお願いにあがり、快いお返事をい ただいた時は、帰りの自転車のぺダルがとても軽く心に大きな安心感が広がったのを思い 出します。母も本当に喜んでくれました。とても心の広いユーモアあふれる大頭先生、や さしい看護婦さん、そして倉賀野先生の理にかなったリハビリに、母の顔に笑顔が広がり ました。
 平成6年7月頃のことでしたから、長い年月、大頭先生はじめスタッフのみなさまのお 陰で頑張れたこと本当によかったと思います。

 倉賀野先生には、桜の季節にはお花見や野立、暑い夏には、かき氷や喫茶店で外出と、 寒い冬には松川の豆大福でお抹茶をいただいたりで、楽しさを取り入れたリハビリで、母 も心待ちにしていました。私まで一緒になって楽しみ嬉しそうな母を見ることで心癒され たように思います。厳しさの中に相手の事を思いやるリハビリは心打たれました。
 母もよく頑張りました。食事にも気をつかい、テレビで見る身体に良いという食物は 随分と試しました。黒豆・黒ごま・抹茶・ひじき・きな粉・牛乳・ココア・黒酢等々… ま た、自分で考案して足に紐をつけて引っ張ったり、手を挙げたり、竹をふんだりと一生懸命 でした。
 自分がしようと思った時の頑張りは目を見張るものがありました。また、娘達からの電話 や顔を見に来てくれることが随分と励みになったことと思います。  弟夫婦からの好物に喜び、ずっと寝ていると明るいパジャマが良いということで、ピンク や黄色の花柄の可愛いパジャマが色白の母によく似合って、ことのほかお気に入りとな りました。周囲の人々の心あたたかい気配りや好意が母を支えました。

 そんな日々の中、せめて車椅子で日常生活ができたらという思いも強くなり、家の建て 替えを考え、バリアフリーの家を建てました。建て替え中のマリアヴィラへの入所、家の 設計でも倉賀野先生にアドバイスをいただき、色々なことを乗り切って家が完成し母の 新しい生活が始まり、食事・洗面と楽しくこなしていけるようになり、テーブルを囲んで の食事は本当にうれしそうでした。 仏壇の前に行って、手を合わせることも可能となり、信心深い母と共にお経をあげたり、 外出して近くのお店で買い物も楽しめるようになり、近所の人達からの声掛に色々な話に 花を咲かせました。

 また色々な福祉のサービスも受け利用しました。特に入浴サービスは一番の楽しみで入浴 しながら自分の生い立ちやお嫁に来てからの生活の話などを聞いてもらうのが、大変うれし かったようです。
 自分を語るのが大好きだった母、大頭先生、看護婦さん、へルパーさん、薬剤師さん等、 じっと耳を傾けてうなずき、相槌を打って下さる姿は勉強になりました。
 不自由な暮らしながらも、元気に暮らしていた母も年を重ねるごとに体力も弱り、麻痺 による痛みや腰痛等、色々な身体のトラブルに泣きました。心も少しずつ弱り、口をつい て出るのは淋しい言葉となり、私は聞いてうなずくだけでした。
 私は私で辛くなり、先生や看護婦さんに頼るしかなく、些細なことで相談ばかりして迷 惑をかけました。長い年月、私が介護者ということで前面にいましたが、色々な場面で母 の周りにいる人達の協カがあってなしえた介護の日々だったと思います。

“ありがとう、ありがとう”と言って永遠の眠りについた母です。本当に辛い日々 であったろうに、最後は清々しく、母らしい美しい安らかな顔でした。
 母を介して、たくさんの方々に会い、教えていただき、私も少しは成長できた日々だ ったと思います。
 人間の強さ、弱さ、また喜びも悲しみも、色々な想いを見せてくれた母は愛おしく、 私の方こそ、“お母さん、ありがとう”を送りたいです。
 母の道は、私が行く道でありましょう。母を想うとき、自分の十年間の心模様がこれか らの人生に少しでも役立てたら良いなと思います。
 ただただ母の側にいて、日常の中に母がいた。それは自然なことでした。決して良い日ばかりでなかったものの、母のお世話を出来たことは、私の宝といえます。
 大頭先生はじめスタッフの方々、多くの人々の応援有り難うございました。心より御礼 申し上げます。


10年におよぶ長い療養でした。お嫁さんの和子さんが姑さんを実のお母 さん以上にケアしておられるご様子にスタッフー同心打たれたものでした。 「自分がしようと思った時の母の頑張りは、目を見張るものがありまし た。」全くその通りの想いを私達も受けました。 熱心にリハビリに励んでおられたと思います。 私達が訪問した時に、にっこりと迎えて頂いた家永さんの笑顔が忘れられません。
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