だいとう循環器クリニック

花みずき


痴呆症の夫を看取って

姫路市南新在家  大谷さん


 縁あって、ケアプランだいとうとヘルパーステーションだいとうに平成12年4月の介護保険制度の最初から、平成13年8月まで一年半お世話になりました。

痴呆の夫と

  昨夜のこと すべてを忘れ  おはようと
朝のあいさつに 心なごめり

幼児の ごとき日々なり みとりする
我たなごころ にぎりはなさず

何もかも 忘れし夫が 時折は
僕のワイフと 言葉出でくる

毎日が 介護の身となり 往年の
つみ重ねし日々 よみがへりきて

 主人は、平成10年82歳の6月、腰を強打したのがもとで、体調をくずして折からの向暑にむけ、食事も減退、気力、体力ともに目にみえて衰弱してきまして、8月遂に老人性血管型痴呆の始まりとの診断で、長期療養の覚悟をするようにと言われました。緑内障、痛風の持病もあり、病気にはある程度くわしい私も予想もしない現実には突然暗くて長いトンネルに入ってしまった感じで言葉にも出来ない程のショックでした。
 一寸先は判らぬのが人生と申しますが、こうなった以上、私がしっかりしなくては介護の体験記を読んだり、いろいろ教わりまして最後まで自宅で出来るだけの世話をしてあげたいと決心致しました。
 10月に入って、気候もよくなり体調も徐々に戻ってきましたので、外部の刺激も大切と周囲の助けもありましたので、桜見物、バラ園公園と気分のよい折は車で幼児のようになってきた主人を連れ出しました。点滴に行った帰りにはよくモーニングサービスで喫茶店へ寄ったりもしました。
 痴呆の本人は極楽、看護の人は地獄といわれます。平成10年11年はまだ良かったのですが、次第に着衣の順番、自分の居場所、年齢、家族と判明が難しく、妄想、幻覚、作話も出てきました。

 主人の望んでいる事が私にもわからない事が多くなり、どう応えたら満足してくれるのか悩んでしまう事も度々で、痴呆相手の日々は大変でした。
 12年に入ってからは、足元がおぼつかなくてよく転んだり、昼と夜の区別ができなくて、トイレ、食事、ヘルパーさんと私が絶えず交替での見守りが必要となり、私の事も時々は忘れるのか、しきりに名前を呼ぶので傍へ行き、「何の御用?」と言いますと、「自分の奥さんはこんな年寄りで肥ったおばさんではないのにー」と納得できない顔で、私に「家内を呼んでください。」との言葉がかえってきます。でもこの人は誰よりも自分の事をよく世話やいてくれて頼れる人と判るようで、私の言うことはおとなしくよく聞いてくれました。

 夜中、失禁の始末を終え、さっぱりときれいになったベッドで「さあ、ゆっくり休んでん。」とやさしく言うと、必ず「ありがとう、お世話かけました。ご苦労さん」と返事が返ってきたり、朝、洗面所で泣きそうな表情で突っ立っているので、「どうしたの?」と問いかけると、「自分で自分がどういう人間か、どうして今ここに居るのか、どうして生活してゆけるのか、頭がおかしくなって判らぬ事ばかり」と切なそうに訴えてきます。
 愛しくて哀れ、思わず抱きしめて、「何も心配しなくていいのよ、私がついているから安心して」とベッドに連れて返ると、「何とやさしい事を言ってくれるね、きっといい事がありますよ。」との言葉が戻ってきました。

 生来がおおらかで温和、そして几帳面、誰からも愛され、信頼された生涯で、学生時代、軍隊時代、銀行勤務、そして、自営業と戦後の苦しい中も本当によく頑張ってきました。
 平成に入って、会社を娘婿に譲って、これからは輝ける夕陽のように静かでおだやかな、そして私と二人満ち足りた余生をと願ってきましたのに、あまりにも悲しい現実を迎えてしまい、どうしようもありませんでした。

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