だいとう循環器クリニック

花みずき


宏弥君との別離

ご両親からのお便り


 たいへんご無沙汰申し上げております。
先生はじめ皆さま、お元気にお過ごしでいらっしゃいますか。先生には悲しいお知らせをする事になりました。宏弥が6月3日2時頃、心停止で急逝いたしました。2日は午前中、学校(近畿大学生物理工学部遺伝子工学科、和歌山)で血液検査を受け、昼からゼミ、夕食は友達4人で22時過ぎまで一緒。部屋に帰りメールを二件送り「来週火曜日京都に泊めて」1時32分。これが最後でした。
 友達も先生も、誰もが「変わったところはなかった」と言われました。二日も連絡がとれないのはおかしいと、友達が警察官と一緒に下宿先(ワンルームマンション)へ行き見つけてくれました。就職活動で日々忙しくしておりました。暑い日が続き電車やバスなど乗り継いで、説明会や試験会場へ、午前も午後もと歩き疲れていたと思います。献血のボランティア活動もしていたそうです。友達に「好きな子はいたのかなあ」と聞くと、告白はしたけどあまりいい返事はもらえなかったそうです。普通でもドキドキするのに宏弥は特別ドキドキしただろう。ペースメーカー入れてるから、さぞ勇気もいっただろう。勇気に乾杯です。
 一浪して京都バイオカレッジ2年間、近大に2年から編入学して4年生でした。短い一生でしたが、精一杯頑張ったと思います。県外からたくさんの友達が駆けつけ本当にいいお葬式ができました。男の子も女の子も泣いて泣いてこんなに慕われて幸福者、と感謝致しました。

 先生には本当に良くして頂きました。横隔膜の上に置いてあるのがはずれた時、いつからかわからなくて『先生、宏弥はペースメーカーがなくても生きられるんと違いますか!! 』
どうしてやればいいのか私にはわからず、先生に暴言をはいてしまった。今でも恥ずかしく思い出されます。本当にありがとうございました。宏弥にかわり厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。

 就職履歴書に、【私には協調性があります。私は専門学校での2年間と大学での2年間の実験を通して、グループの中で他の人が今何をしているか把握し、いかに効率よく行えるか考えて実験してきました。この実験から協調性と共に責任の重要性を学んだ。私は学生生活を通じ、様々な人と出会い、その「出会い」こそが自分の新たな価値観を見いだすきっかけとなり、互いの成長に最も必要なものだということを学びました。そのため一人一人との出会いを大切にすることの大切さを知りました。今後、企業や社会でもその姿勢を大切にし、自分もこれから出会う人々への成長材料となっていきたいです。】抜き書きしました。
謹んでご通知申し上げます。

ご両親からこのような悲しいお便りを頂き、すぐ電話をして話を聞かせて頂きました。
 宏弥君は、心臓外科医の私にとってとても憶い出深いつながりがあります。彼は生まれた直後より心拍数が30〜40/分くらいしかなかったのです。当時国立姫路病院小児科の松村正彦先生が必死になって治療されましたが、心拍数はあまり増えずに、とうとう、ペースメーカーを使う事態となりました。何しろ生後1ヶ月あまりの頃ですから、日本でもほとんど例がありませんでした。通常と違って皮膚と筋肉の間に入れる余裕はなく、胸腔を開けて肺を少しよけてその隅に入れました。心筋へのリード線の縫着も苦労しました。
 その後数回ペースメーカーを入れ換えてきました。その経過の中で彼の心臓の筋肉に変性のある拡張型心筋症と判明しました。
 宏弥君は成人して好奇心の強い、誠実な青年となりました。近畿大学の工学部に進学し、日常的にはクリニックとは離れましたが、彼の活躍を心待ちにしていたのでした。
 ご両親や友人の方々の驚きと落胆は如何ばかりだったでしょう。変性して強く拡張した左室は突然に心室細動という不整脈におちいってしまったのかと推測されます。
 その日もきっと通常の日常をこなしていた宏弥君。そして将来への夢を見つめ続けていた宏弥君との別離の日となってしまいました。スタッフ全員とともに彼との思い出を語りあって、ご冥福を祈るばかりです。(大頭)
| INDEX |
Top


だいとうクリニック